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人生の転機Ⅰ

4月10日sun

もうすぐ通称イエローブック、

    「ブレインズオープンガーデン2012」が発売となる。

今回は“四つの庭のものがたり”に、我が家が掲載されます。

取材に来て頂いたコテージM氏に「私の人生は小説が書けるよ」

と、生い立ちから現在に至るまでを お話させて頂きました。

**************人生の転機第Ⅰ章*************

             「ものまね」

中学2年までの私を知る方はバスガイドをしていると言うと絶対に信じてもらえないほど人

と話すのが嫌だった。子供の頃から姉と比べられて私は、いつもバカ扱い近所のおばさ

んが遊びに来ると姉を褒め最後は「このバカだったら…」口を開けば叩かれる。姉も次第

に私をバカにして母と2人で罵られて益々家族が大嫌いになった中学に入ると活発な姉は

スケート部でデブの私は帰宅部。家に帰ると家事が待っていた冬の茶碗洗いはストーブ上

の湯沸かしからヒシャクでお湯を汲み入れれるから良いけど米とぎが大嫌いだった。まる

で女中のような扱い友達も出来ず誘われても断り孤立していき、いじめられっ子になって

人間が嫌いになっていった。辛い時、悲しい時は歌謡曲を口ずさんで自分を慰めていた

「雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ」心の中で呪文のように唱えていた。そんな中、唯一の助っ

人だった父ちゃんが急死…私の人生が終わった気がした。。。母が壊れて行く。。。何も

話さない私の事が鼻につきヒステリーが酷くなる。バカでも学校だけは休まずに行ったの

は家に居るのが嫌だったからだ。中学2年の後半頃から気が付けば友達が2~3人出来

て、みんな父親がいない淋しい人達。。ちょいワルだったけど私は鬼の様な母の顔が浮

かんで勇気がなくワルにはなれなかった。。。その中の一人が歌がとても上手で“花の

中三トリオ”が話題となり森昌子のものまねをして私は桜田淳子、アグネス・チャン、浅田

美代子、天地真理のものまねをしてクラスの隅で4人で遊んででいるうちに次第にギャラリ

ーが増え、なんだか、楽しくなって来ましたが…あがり症の私は大勢の前では歌う事も出

来ず3人ぐらいの前だけ限定ものまねで、この頃から人嫌いのベールが少しづつ剥がれ

ていきました。母は相変わらずでマージャン、ダンスと夜遊びに出掛け居ない事が嬉しか

ったです。稼ぎ頭がいなくなり貧乏と勉強なんてしなくていいからと文房具も買ってもらえな

かったので近くの若松食堂に学校が終わってPM8時まで皿洗いのバイトをした。夏休みと

もなれば1日お昼も御馳走になり月に1万円が貰えた。聖徳太子が付いた大きなお札を

貰い家に帰るまで誰かに狙われているような気がした。父ちゃんに見せるため仏壇に…

お金を渡すと母も嬉しそうだった。「中学を出たらお金が無いから、お前はバカだから働

きなさい!」と言われ高校に行くことを、真っ向から反対され母は先生の説得にも応じな

い頑固者、当時は7割が進学3割は就職。私も早く、お金を貯めて家を出て行きたかった

姉は看護学校に行き私はお菓子の問屋さんに就職。お昼休みになると若手は長椅子に

座れずに立っているので一つ先輩と漫才やピンクレディーの歌と踊りでウケまくり毎日、大

爆笑で昼休みが終了となり、そこで芸を磨き自分で言うのも照れますが人気者になっていっ

たのです。「ものまね」が私の人生の転機第Ⅰ章でした。

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